青空のメタルジゼル
薄汚れた安アパートの一室はゴミとガラクタに占拠され、夢と希望は隅の方で埃を被っていた。
部屋のヌシは洗面台の鏡で自分の顔を ぼんやりと見つめる。
(酷い顔だ…)
ここ数日、青井 空(あおい そら)は悪夢にうなされ満足に眠れていなかった。
不快な海の底…旧い時代の建物…冒涜的な何かの声…そして…。
「あっ…ぐぅっ…」
頭痛、胃が裏返るような吐き気…洗面台に海藻混じりの磯臭い液体をぶちまける。
(海藻なんて…食べた覚えは…ないんだけどな…)
口いっぱいに広がったエグ味をコップに汲んだ水で洗い流し、睡眠導入剤を残った水で飲み下す。
(もっと強い薬の方が良いかな…)
電気を消しフラフラと部屋を横切ってベットに倒れ込むと、枕に付けたラベンダーの香りが鼻をくすぐる…。
仰向けになり…ゆっくりと深呼吸をして眠りの世界へと落ちて行く…。
だが…「フングルイ・イア・クトゥール…」。
水底から聞こえる不気味な声…冒涜的な儀式の熱気が絡みつき…引きずり込まれまいと抵抗すれば覚醒世界へと浮き上がる。
ベッドに入ってから、どれくらいの時間が過ぎたのかとスマホを手に取り時間を確認すると……1時間しか たっていなかった。
長い溜息をついて起き上がり冷蔵庫から牛乳を取り出してホットミルクを作る。
スマホを手早く動かしながら安眠法について調べるが目新しいモノは見つからない。
暖かいミルクを喉に流し込むが…何だが冷たくてしょっぱい水…海水のようなモノが無性に恋しい…。
(早く何とかしないと…。これ以上、仕事に影響が出たら…)
ふと思い立って、いつ入れたのかさえ定かでは無いアプリ【安眠羊】を起動する。
『こちら安眠羊 供給サービスです。本サービスは…』
落ち着いた柔らかな声で流れるアナウンスを聞きながらベッドへと戻り体を横たえる。
『…それでは、これより安眠羊を お送りいたします。良い夢を…』
スマホを放り出し、瞼を閉じ…その裏に広がる闇を見つめ全身の力を抜く…。
『羊が一匹…羊が二匹…羊が三匹…』
ゆっくりと羊を数える柔らかな女性の声が聞こえてくる。
意識が遠のき闇に落ちて行く瞬間……どこかで甲高い笛の音がしたような気がした。
『アプリ使用者の夢へ外部からの不正なアクセスを確認しました……羊1匹が死亡。【Cykranosh magic circle of Eibon】を起動します。発生源の特定を開始…』
―――
気が付くとソラは素っ裸で湖のほとりにいた。
「どこだ、ここは?夢…なのか?」
真っ青な空…天高く雲が流れていく…。
『発生源と対象との隔離に成功しました。…継続的なサポートが必要と判断。安眠羊ジゼルを随行させます』
「メェ~」
どこからかアプリ【安眠羊】のアノ落ち着いた柔らか女性の声が聞こえてきて、
(おや?)っと思っていたら羊の鳴き声が すぐ後ろから聞こえて来て驚く。
振り返れば、そこに一匹の白い羊がいて。
自分の側に寄って来たので撫でてみると、生物としての温もりが感じられない。
よくよく観察してみれば、関節などが作り物で精巧に作られた機械仕掛けの羊なのだと分かる。
改めて視線を辺りに向けてみれば…自分がいる小さな島を中心に、
どこまでも続く鏡のような湖に青空が写り込んでいる。
「よく来た、客人よ。私はナシュト、汝を見る者」
「よく来た、来訪者よ。私はカマン=ター、汝に告げる者」
どこから現れたのか?唐突に肩に豹の毛皮をかけ腰布を巻いたエジプト神官風の男達がソラの側、空中に立っていた。
どちらも若く見えるのだが纏う雰囲気は老人のように落ち着いていて
こちらを静かに見つめている。
「ここは【蒼の聖域】。幻夢境へ至る道の中継地点。
汝の正邪、汝の真贋、汝の覚悟を見る場所」
「汝に幻夢境の理と法を告げ、汝の歩む道を照らす光を与える場所」
「え!?あの…どういう事ですか?」
矢継ぎ早に格式ばった物言いで告げられた内容に首を傾げる。
「我らは、今 汝が夢見る者であるかを見ている。
資格があるならば、汝を幻夢境へ招き入れよう」
「幻夢境は不必要に恐れる必要も無いが決して安全と言える場所では無い。
ゆえに…おや?この者は…」
「ふむ、カマン=ターよ。気が付いたか…」
2人の神官が顔を見合わせソラに剣呑な視線を向ける。
「な、何ですか?俺が何か?」
何か自分に不快にさせる要素が…
「あ!いや、素っ裸なのは。
ここに来た時には気が付いたら素っ裸だったんです!だから…」
「シっ!静かに!汝は…旧き支配者、その大司祭クトゥールに呪われておる」
「ナシュトよ。追い返す事も可能であるが…これでは…」
「カマン=ターよ、客人の穢れは門扉にて祓うモノである」
「ふむ…なれば応急処置で済ますしかあるまいな…。そのためには魂を補填する素材が必要であるが…」
「メェ~」
「…サイクラノーシュの"隠者"子飼いの羊か。ナシュトよ、これが良かろうか?」
「問題無かろう…これも客人の数奇な運命の一部であろう」
理解する間も、質問する機会さえなくカマン=ターが印を結び呪文を唱えだす…。
「ぐふぇっ…!!」
ここ最近、感じてきた苦痛が生ぬるく感じるほどの内臓を吐き出すかのような吐き気が襲い来て、あまりの痛みに悲鳴すら上げられずに その場に倒れ込む。
「ゲボっ、ゴボボボっっ………」
口から淀んだ磯溜まりが吐き出される…
海藻、這いまわるフナ虫、うねるゴカイ、ぶよぶよのウミウシ…。
およそ人の体から出てくる事など あろうはずなきモノがソラから吐き出されていく…。
「客人よ、安心せよ。それは汝の魂に刻まれた呪詛の毒。その穢れを我らの手で祓おうぞ」
ナシュトも印を結び呪文を唱えると、その手に光が宿り床を汚している穢れが清められていく。
鉛でも詰め込まれたかのように重かったソラの身体が軽くなっていき…
手足は骨に皮が張り付くほどに、胸は肋骨が浮きでて…
体は空気が抜けたかのように細く細く痩せ衰えていく…。
「ナシュトよ。そろそろ客人が持たぬぞ!」
「あい分かった、カマン=ター!客人よ!汝の名は?」
フワフワと夢現の中で、自らの名『青井 空』を思い浮かべる…。
「青井 空よ。これより汝の魂と白羊の魂を1つに繋ぐ。
それにより汝は幻夢境を旅するための新たなる姿を得る!
フナル・ムンフグ・ウィナフ・クィドグフ・グルウロシク ・クュイオルド!」
ソラと羊の体が燐光に包まれ、やがて光の粒となって分解されていく!
(えっ?ちょっ、ちょっと待ってくれ!新たな姿って何!?俺は、どうなるんだ!)
ソラの心の叫びは誰にも届く事なく2つの光は1つに混じり合い最適な形へと姿を変えていく。
こうして青井 空は夢見る者となり幻夢境(ドリームランド)を旅する事となった…。