家
田舎の静かな町に、優斗一家はようやく到着した。長いドライブの疲れを残した車が、広々とした駐車場に滑り込むように停まった。エンジンの音が止むと、周囲を包むのは穏やかな風の音と、遠くの鳥のさえずりだけだった。
「さあ、着いたぞ」
父親の優斗が、疲れた顔に笑みを浮かべて言った。彼はハンドルを離し、ドアを開けて外へ出る。背が高く、肩幅の広い体躯は、都会の喧騒から逃れてきた男の逞しさを静かに物語っていた。
後部座席から、母親の雪子が小さな息子の春斗を抱き上げて降り立つ。雪子は誰もが見惚れるほどの巨乳美人だった。柔らかな曲線を描く胸元が、シンプルなブラウス越しに優雅に揺れ、長い黒髪が肩に流れ落ちる。まだ幼い春斗は、母親の温かな腕に抱かれながら、大きな瞳をきょろきょろと動かした。
「ここが僕たちの家?」
春斗の無垢な声が、静かな空気に響く。雪子は優しく微笑み、息子の頰にキスを落とした。
「そうよ、春斗。ここが私たちの新しいお家」
家は古びた洋風の建物で、三人家族には贅沢なほど広大だった。白い壁に蔦が絡まり、庭には野花が咲き乱れている。優斗が荷物を降ろしながら、雪子に目を向けた。
「三人で暮らすには大きすぎないかしら」
雪子の言葉に、優斗は肩をすくめて笑った。
「狭いより広い方がいいだろ。部屋もたくさんあるし、春斗が走り回れるスペースも十分さ。きっとここで、のびのびと暮らせるよ」
彼はポケットから鍵を取り出し、玄関の重厚な木製の扉に差し込んだ。錆びた鍵が回る音が響き、扉がゆっくりと開く。
都会では考えられないような広い家だ。
別荘でもこれほどの豪邸はない。
三人はそれぞれ個室を選ぶと、荷解きをして家の中を探索する。
春斗は地下の個室を選んだ。そこは、元書斎だったようで壁一面に新品らしき本が並んでいる。
優斗はリビングの荷解きを一段落させ、地下へと向かった。階段を降りるにつれ、空気の温度が一段下がるのを感じる。
地下室の扉を開けると、そこには春斗が本棚を食い入るように見つめていた。
「春斗、あまり暗いところで目を使いすぎるなよ」
優斗が声をかけると、息子は振り返らずに「パパ、この本、全部真っ白だよ」と呟いた。
優斗が棚の一冊を手に取ると、装丁は豪華な革装だが、春斗の言う通り中身には文字一つ記されていな。
しかも、どの本も昨日刷り上がったばかりのような異様な新しさだった。
優斗は、思わず何も文字が書かれていないページに触れてみた。すると・・・
「バサバサ……バサバサ……」と音をさせながら、本のページが捲れていく。最後まで捲れて終わった本を再び手に取ると、目の前には驚きの光景があった。
「さっきまで、何も書かれてなかったのに!?」
優斗は驚くのも無理はなかった。彼が触れた最初のページから最後のページまで、1文字も書かれてなかった本には、最後までびっしりと文字が書かれていたのである。
本には『これから家族に起きる事が全て書かれていた』。
優斗が一心不乱に仕事をして会社で出世する事、
家庭をかえりみなかったがゆえに離婚する事。
雪子が寂しさから優斗の親友と不倫して寝取られる事。
春斗が中学受験で失敗して、悪い友達と付き合い出し薬に手を出す事。
真っ黒な未来が、そこに つらつらと書かれていた。
『本を読んだ優斗は、(一体、この本は何だ…)と思った』
(一体、この本は何だ…)
優斗の心の中まで見通す本。
手の中の、恐ろしい運命に優斗は体の震えを止められなかった。
「ねえ、パパ…こっちの本、さっき見た時とは違って何か書かれてる」
春斗が一冊の真っ黒な背表紙の本を差し出して来る。
優斗は本を受けてると…それを読まずに本棚へと戻す。
「もう、ここはいいだろう。
別の所に行こう。ほら、お前の部屋に行こう。きっと面白いモノがあるぞ」
春斗の背を押し、優斗は地下室を出た。
過去を振り返ると、優斗は善き人生とはいえなかった。
父は若い女に傾倒し、決して家庭を顧みなかった。そして母も同じであり、愛する息子ではなく傾いたのは他所の男だ。
孤独にも似た自由は、幼い優斗の心を凍らせ、夜になればその身を震わせる。
「汚れ、いや穢れよ」
「アホみたいな女と、ウスノロのペニスから産まれたニコイチだ」
井戸端会議の話題には、いつも優斗が槍玉に上がるばかりで、誰も彼も彼に手を差し伸べなかった。
いつしか優斗の後ろ姿は、強がるばかり。たくさんの想いを、ただ黙って飲み込むしかなかった。