夏の出来事
「しめじがあったら良かったな。」
出来たてのビーフシチューの味見をしながら、
シゲルは独り言を言った。
でもまあ、上出来。
ご飯は炊けたし、サラダは出来合いのものが冷蔵庫に入っている。
あとは何だ?
時計を見ると7時を過ぎたところだ。
休日の朝は、妻のヒカルはゆっくり起きてくる。
まだ時間がありそうだ。
テーブルの上にはすでにケーキの箱と皿・フォークを置いておいた。
飲み会で夜中に帰ってきた筈の夫が、
豪華な朝食の用意をして待っている、という
サプライズバースデープレゼント。
シゲルは妻・ヒカルの反応をシュミレーションしながら、1つ1つチェックをしていった。
「あ、プレゼントのひまわりの花束は隠しておかなきゃだな。」
そう言ったあと、シゲルは固まった。
「花束・・・どこだっけ?」
昨夜はかなり酔っていたから記憶がおぼろげだ。
どこかに隠した記憶がないから、
その辺に堂々と置きっぱなしにしておいたのだろう。
玄関から昨日の足取りを辿って寝室まで行く。
寝室はヒカルが寝ているから、花束を持ち込むことはありえない。
シゲルはイヤな汗がかいて来た。
そう思いたくはないが、家に着くまでに落としてきてしまったに違いなかった。
結局、花束は見つからなかった。 肩を落としてキッチンに戻ると、シチューの鍋から妙な臭いが漂っている。 酸っぱい、胃液のような、鼻を突く悪臭。
「あ、起きたんだ。おはよう」
食卓には、いつの間にかヒカルが座っていた。 彼女はシチューの入った皿を前にして、無表情でこちらを見ている。
シゲルは慌てて鍋の中を覗き込んだ。
茶色かったはずのシチューは、どろどろとした灰色に変色し、得体の知れない固形物が浮いている。
「これ、あなたが作ったの?」
ヒカルの声は驚くほど冷ややかだった。
シゲルはスプーンですくい、恐る恐る口に運ぶ。
舌の上で弾けたのは、腐敗した生ゴミと、強烈な吐瀉物の味だった。昨夜の酒が一気に逆流しそうになる。
口をゆすごうと水道の蛇口をひねれば、糞尿の香りがする黄土色の水が出て来て…。
冷蔵庫を開ければ、サラダの上ではコバエが踊り、
バラバラに解体された新鮮な肉、肉、肉!
振り返る…部屋は何か月も掃除されてないように ぐちゃぐちゃに荒れていて、
ゴミ袋が山積みになっている。
そこに居たはずの愛する妻 ヒカルの姿が無い。
「どこを見ているの…。あ・な・た…」
冷蔵庫からの声…そこでニッコリと笑うヒカルの生首があった。
(ああ、そうだ…俺の幸せは、とうの昔に終わっていたんだ…)
致命的な選択ミス…やり直す事などできはしない失敗…。
逃れられぬ運命の行き止まりが、そこに口を開けていた。
俺は、食卓の上でヒカリの誕生石のルビーが付いた婚約指輪が
キラリと光るのを見ながら絶望した。