家(一人暮らし版)
田舎町の静かな路地に、芳雄の軽トラックがゆっくりと停まった。エンジンの音が消えると、辺りを包むのは虫の声と、遠くで揺れる木々のささやきだけ。都会の喧騒から遠く離れたこの場所に、貧乏学生の芳雄は新たな一歩を踏み出そうとしていた。
「ふう、着いたか…」
芳雄は運転席から降り、汗ばんだ額を拭った。ボロボロのジーンズと擦り切れたTシャツが、彼の質素な暮らしを物語っている。荷台には、段ボール箱に詰め込まれたわずかな荷物――古い教科書、使い込まれた服、そして親戚から譲り受けた安物の寝具が揺れている。
目の前に広がるのは、年季の入った一軒家だった。白いペンキが剥がれかけ、庭には雑草がはびこっているが、芳雄にはそれが愛おしく見えた。大学の奨学金とアルバイトでやりくりする彼にとって、こんな家を借りられるだけでも奇跡に近かった。
「ここが俺の新しい城か」
独り言をつぶやき、芳雄は小さく笑った。家は一人暮らしには明らかに広すぎた。がらんとした部屋がいくつも連なり、足音が木の床に反響する。都会の安アパートとは比べものにならない広さに、思わず苦笑いが漏れた。
「一人でこんな広い家、持て余すんじゃねえか…」
リサイクルショップで購入した一人暮らし用の洗濯機と冷蔵庫を運び込むのが大変だった。
折り良く、台所と浴室がダイニングと廊下を挟んだ向かいにあったので一ヶ所に荷物をまとめながら大型家具の設置もできた。
中古の32型のテレビは居間か寝室か迷ったが、居間に置くことにした。
この家は台所と居間、浴室、トイレが一階にあって二階は寝室が二部屋ある。
居間の隣には小さな物置小屋があってここも布団を敷けば寝室に使えそうである。
実家から持ってきた10kgの備蓄米が入った袋はキッチンのシンク下の物入れにしまった。
100円均一で揃えた調理道具も台所を飾り付けるように収納した。
布団は二階の寝室への登り降りが面倒なので居間に敷きっぱなしにすることにした。
居間に布団を敷き、その上に大の字になって芳雄は天井を見上げた。煤けた木目の天井は、彼の新しい生活を静かに見下ろしている。疲労困憊の体には、この古い布団の感触が何よりの贅沢だった。
ふと、天井の隅に妙なものが目についた。他の木材とは明らかに違う、新しい材木で補修された跡だ。好奇心に駆られて立ち上がり、脚立代わりに使っていた折り畳み椅子に乗って、その部分を叩いてみる。
コン、コン、と鈍い音。その部分だけ、音が違う。
「ん?なんだこれ…」
芳雄は工具箱からマイナスドライバーを取り出し、天井板の継ぎ目に差し込んでみた。力を込めて押し上げると、ミシッという音と共に、一部が持ち上がった。そこには、大人が入れるほどの、小さな空間が隠されていた。
埃を払いながら中を覗き込むと、古びた麻袋のようなものが見える。恐る恐る手を突っ込んで引きずり出すと、それは麻布で厳重に包まれた、木製の小箱だった。
「なんだこれ…誰かの隠し金?」
小箱を開けるとそこには、沢山のお金が入った封筒と新聞の切り抜きが入っていた。
「どうして、箱の中にお金と新聞の切り抜きなんかが入っているんだ……いや、まさかな」
芳雄は、恐る恐る新聞の切り抜きを読んでいく。そこには、予想していた。いや、予想したくなかった内容のことが書かれていた。そう、そこには、かつて起きていまだに犯人が捕まっていない銀行強盗の事件について、書かれた切り抜きだった。
芳雄の額に嫌な汗が滲んだ。
この記事が報じているのは、「出九銀行強盗事件」だ。封筒に入っている大金は、明らかにその強奪された金の一部だろう。
「この家は…まさか、あの20年前の強盗犯の隠れ家だったのか?」
だが、現場となった出九銀行とこの家はあまりにも近すぎている。こんな場所に隠すのはリスクが高すぎた。
「みつけてしまった限りは、警察に連絡したほうが良いよな……」
芳雄は、もしこの金が銀行強盗によって、盗られたお金だとすると、このお金をまだ捕まっていない強盗団が取りに来るかもしれないと思うと不安になっていた。
「いやでも、今後のためにも、みつけたのは自分なんだから、少しぐらいもらっても……いやいや、もし盗まれたお金だったら、ちゃんと返しておかないと……」
芳雄は、お金を目にして、自分自身の悪い考えの誘惑が頭をよぎってしまい、大金を持つ手が震えてしまっていた。
芳雄は震える手を強く握りしめ、自分自身の欲望を振り払った。
「だめだ。これは犯罪で奪われた金だ。俺がこんなものに手を出したら、そいつらと同類になってしまう」
彼は意を決し、携帯電話を取り出した。指先がダイヤルする「110」の数字の上で一瞬ためらい、そして、力強く通話ボタンを押した。
「あの、警察ですか。実は、大変なものを発見してしまいまして…」
受話器の向こうから冷静な声が返ってくる。芳雄は小箱の中身、そして新聞の切り抜きについて、早口で説明した。指示された通り、家から一歩も出ず、何も触らずに待機することになった。
チャイムを鳴らす音がして二人の背広の男がやって来た。
芳雄が玄関に出ると、男の一人が手帳を見せて県警刑事二課の萩本と名乗った。
芳雄はお金と新聞切り抜きと、それらが入っていた箱を刑事に手渡し居間へと刑事を案内し現金が隠されていた天井裏等の詳しい説明をした。
「分かりました。事件の捜査について少しだけご協力頂きたいのですが本署までご同行願えますか?」
萩本の申し訳無さそうな表情に負けて芳雄は承諾した。
芳雄は刑事達の乗ってきたクラウンの後部座席に乗ると、萩本の隣にいたもう一人の刑事が横に乗ってきた。
車は萩本の運転で出発した。
「山に警察署があるのですか?」
芳雄は車窓に映る風景が市街地からかけ離れた山道へと変化したことを不思議に思い萩本に尋ねた。
「……。もうここまで来れば人目もあるまい」
先程までおし黙っていた萩本がそう喋ったのを合図に芳雄の隣に座っていた刑事がポケットから手錠を取り出した。
「お前を逮捕する」
男はそういうと芳雄の両腕に手錠をかけた。
「えっ…?こ、これは…どういう意味ですか?」
頭が真っ白になった芳雄は半狂乱気味に萩本に尋ねた。
「……我々は警察ではない。こんなこともあろうかと、お前の家はずっと我々が盗聴していたんだよ」
「も、もしかして、銀行強盗団のメンバー!?」
「そうだとしたら?」
「そ、そんな……」
芳雄はパトカーから降りようと、暴れていた。
「お前、暴れるな!」
男は芳雄を落ち着かせるために、殴打していた。
「こうなったら、仕方ない……」
隣の男は、懐から拳銃を取り出して芳雄に突きつけていた。
「そんなに、降りたいなら降ろしてやるよ。ただし、お前にはここで死んでもらうがな……」
萩本は、車を停めると、芳雄を引き摺り下ろしていた。
「こんな貧相な山中なら、人一人死んでも誰も気づかないだろうな……」
「うう……」
萩本は、男から拳銃を受け取ると、蹲っている芳雄に向けて、発砲しようと構えていた。
「じゃあな……お金を見つけてしまったことを後悔するんだな」と、萩本が発砲しようとした瞬間……
「パァン!!」と別の方向から、銃声音がしていた。音がした方に目をやると、拳銃を構えた一人の女性が立っていた。
「誰だ!?」
「動かないで!!動いたら撃つわよ。銃をおろして離れなさい。あなたたち、県警を名乗るなら、私のことを知らないのね。私も県警の人間なのに……」
拳銃を構えながら、女性は近付いてきていた。
「私は、山根響子、県警の警部よ……」
「警部が単独でどうして、ここに!?誰も俺たちがあの家に行ったことは知らなかったはず……」
萩本は、警部が一人で現れたことに驚きを隠せないでいた。
「バカね。あの家の通話を盗聴していたのは、あなたたちだけじゃなかったのよ。私は仲間のおかげで、なんとか間に合ったのよ」
響子は、男たちに構えながら、少しずつ芳雄に近づいていた。
「あなた、大丈夫?」
「は、はい。ありがとうございます」
「ようやく、あなた達に逢えたわ。長かった。あの日から、ずっとあなたたちを探してた」
「どういうことだ!?俺たちを探してただって?まさか……」
二人は、驚いた顔をしながら、お互いを見合っていた。
「ええ……そのまさかよ。20年前の銀行強盗事件、そのときにあなた達に殺された銀行員の一人、山根竜也の娘よ」
山根響子は、20年前の銀行強盗事件の被害者遺族の一人だった。響子は、父親を亡くした後、しばらくして、母親も事件のショックからか、病気にかかり、寝たきりになって、亡くなってしまっていたのである。あの日から銀行強盗団を自分の手で逮捕することを両親に誓い、親戚に引き取られ、必死に頑張ってきたのである。その執念は、誰にも負けない自信があった。